2010年8月10日火曜日

B29

「国民の皆様!
沖縄からアメリカのB29がすぐ飛んで来ます。
北朝鮮の人民軍をすぐに全滅させます。
安心して下さい…」

朝鮮戦争の時、ラジオを通じて毎日のように流れた李承晩大統領のセリフだ。
当時の百姓たちはその言葉を信じ、避難が遅れ想像も出来ないぐらいの死者を出したのである。
なぜ、大勢の百姓はその言葉を信じたのか?

それは、5年前の真夏の広島、長崎の青空に強力な死の光と黒い雨を降らし…
一瞬にして地獄化させたエノラ・ゲイとボックスカーの力を知っていたのであろう。
いや、その2台のB29に朝鮮人も3万人以上の被爆者が…。
B29という名は脅威そのものであっただろう。

8月6日、平和祈念式典!
広島の上空にキノコ雲作り上げた以来、初めてアメリカの正式な…
アメリカの代表としてルース大使が出席した。
その出席に遺憾を表した元B29関係者の息子。
一方、アメリカの代表が来てもアメリカを許すことが出来ないという人も大勢…。

8月9日、65回目の長崎原爆の日
外国人被爆者代表として在韓被爆者2人も参列した。

国連事務総長の長崎訪問で直接対話したその一人、
権舜琴(クォン・スングム)さんの話に涙が…。

「韓国の大統領も来たことがない長崎に、世界のリーダーとなった韓国人が来るんですから」

4歳の時、日本に来て19歳の時に被爆者に…。
しかし、彼女は戦後の混乱の中、生きるために夫と必死に働いた。
苦楽を共にした夫の死後も韓国人として生きて来た。
差別も乗り越え……。

65年間、一回も、誰も来なかったアメリカの操り人形母国のリーダーより…
関心を持って自分たちの話を聞きに来る世界のリーダーが韓国人であることが…
嬉しくて嬉しくて……。

昨日、B29の原爆投下時刻の午前11時2分
65回目の平和の鐘が鳴った…。

「核兵器のない世界」を叫び続ける米国オバマ政権の出席はなかった。